私はご存知の通り(?)魔法使いギルドにお世話になっているわけですが、かなり中でも異端の部類であります。キャラ的に3種混合型であるという事もありますが、他の誰よりも現実的というか魔法に夢を持ちすぎて居ないというか。
そんなわけで抑え気味でないとどうしても口論気味になりそうで怖いのですが(笑)、やはり話していて決定的に違うのは"
目的の為の手段として魔法を用いるのか、魔法を用いる事を目的としているのか"という部分になっていると最近感じています。「マナリフラクタを持っている敵が居るからその場所に行かない」というよりも「マナリフラクタを持っている敵には魔法を使わない」のが建設的ではないでしょうか。
私自身、当初は魔法以外に有効な攻撃手段を持っていませんでした。恐らくこの方針を変更する一番のきっかけになったのは、知人のG3ペッカを手伝って初めて訪れた際だと思います。ここでマナリフラクタ3であり高HPな相手を目の前にして単一攻撃手段に固執する事の危険性を痛感した次第でした。それを私は避けて通るのではなく、別サイドからのアプローチで"なんとかしよう"という道を選んで今の形になっているわけです。
魔法に限りませんが、ソロとPTとの違い。私はソロでは開幕ミルAR連打だったりとかなり"無茶苦茶"です。それをすることによって誰も眉をしかめず、かつ自分の中でもっとも低コスト大ダメージなコストパフォーマンスを得る事の出来る手段を追求した結果でもあります。
しかし(当然ですが)PTではこんな事はしません。(多くが魔法師である)ギルメンと一緒の場合は弓すら半封印します。連打高威力のアローリボルバー、状態無視の範囲攻撃ウィンドミルなどは邪魔になる事も多々あります。こんなものは危機的状況で使えばそれでいいのです。
PTは楽しむものか、楽しませるものか。先日のギルドチャットで少し話題になっていた事です。
個人的な見解では、前者である理由がありません。理想は"
全員が後者であり、全員が周囲を楽しませるという認識を持つこと"だと思っています。それは巡り巡って、自分が楽しむ事にもつながってくるのではないでしょうか。
そのマナ消費と詠唱時間の関係から、中級魔法の多くはPTではあまり歓迎されません。それ故に初級魔法で戦う事が多くなるわけです。その為、威力を上げるには精霊武器を使わなければならず、餌の提供の為に足を止める事になる。だから自分から誰かを誘う事はしない。
…というのが、その会話の中で出ていたある人の見解でした。
中級魔法の運用が困難なことは理解していますし、そのコストも誰しもが判っている事でしょう。かの人曰く"マナ回復するのに演奏しなければならないから"との話でしたが、これは全員が納得できていれば何も問題ないとは思うのです。もとより魔法つかいギルドであり、全員がマナ回復演奏の恩恵を受ける事に関して非難はしないでしょう。その為に数部屋あたり数十分掛ける事が一番の懸念ですが、そこは常識的に考えてすべてを演奏で運用するのが間違っていると気付くはずです。
私個人的な見解では、むしろ後半部分に疑問を感じる点がありました。威力を上げなければいけない理由というのは、本当にあるのでしょうか。自分ひとりですべてを倒す勢いでなければ、満足できないのでしょうか。個人的な見解であり総括ではないので何とも言い難いのですが、私はどちらかというと「常時精霊武器とか必死杉w」と思ってしまうタイプなので賛同できないかもしれません。誰にでも得手不得手はあるでしょうし、身の回りを最低限抑えることが出来れば誰も迷惑には思わないと私は考えるのです。
中級魔法は切り札です。その必要がある局面であれば、誰しもが「ここでサンダーがあれば…っ」と感じるでしょう。必死になるのはそれからでも遅くはないと思っています。中級魔法の使い手をフリーにして、十分な詠唱時間を確保する為に身を投げ出し複数相手になり、殲滅を待つ。誰しもがその"力"を望む場面というのが訪れるだけの力があるのではないでしょうか。
1人ではないPTというものに対して、いつになっても欠かす事の出来ない問題の1つとして取り上げられ続けるのでしょう。効率のいい1周よりも、楽しく2周3周したほうが最終的には上回っている事があることには、案外気付いていない人が多いのは残念です。
例の1つとして、私はギルド内で遊びに行くと、多くの手段を封印します。
性能的に妬みに発展しやすい弓(とアローリボルバー)を。
誘発防止の為にライトニングボルトを。
無敵時間による不発と強制ノックダウンによる想定外の局面を控える為にウィンドミルと。
つまり、カウンター(6)とスマッシュ(9)、アイスボルト(9)しか攻撃手段がありません。それでも私はちょろちょろ動き回って何とか出来ますし、最悪の局面では上記の封印は即座に解き放ちます。それで楽しいのかと言われると、自分らしさを出し切っていない意味では楽しくないのかもしれませんが、みんなが自分らしさを出してる光景というのは楽しいものです。そして不謹慎ですが、危ない局面ほど楽しく感じます。でも根が安定志向なので、それがなければ、それはそれで楽しいと感じるのです。
元々は将来の治療師として生きるにあたり、戦闘でのマナ消費を抑える為に攻撃魔法を極力封じて戦う事の模索から始まったわけですが、意外と魔法はなくても戦えるようになってきています。しかしピンポイントで魔法が最適という場面は相変わらず非常に多いです。詠唱時間さえ確保できれば、近寄らずに当たる必中な攻撃手段、というのは弓を構えていると非常に心強いものです。
魔法は使われるものではなく、使うものだと思うんだ。
PR